映画美術監督・種田陽平氏のプロフィール、出身校は?結婚は?

「KILL BILL Vol.1」(クエンティン・タランティーノ監督)、「フラガール」(李相日監督)、「THE 有頂天ホテル」(三谷幸喜監督)など数々の映画で美術監督を務めてきた種田陽平さん。
公開中のスタジオジブリの「思い出のマーニー」(米林宏昌監督)にも美術監督として全カットに関わっています。

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プロフィール

  • 本名:種田康幸
  • 1960年大阪府生まれ(54歳)
  • 武蔵野美術大学油絵学科卒業
  • 在学中より寺山修司監督作品「上海異人娼館」などに参加
  • 33歳で独立し事務所を設立
  • 数々の話題作の美術を手がけ、美術監督としての地位を築く
  • 既婚者(過去の番組内で語っています)

父親は印刷業者で、種田さんは小さい頃から各地を転々としていたとのこと。
そんな中で楽しみは映画を見ることだったそうです。

子供の頃は「マンガ家になりたかった」そうで、小学校6年生のときに製作したオリジナルの紙芝居が周りにウケたことを今でも覚えているそうです。

そうして絵を描くことへの興味が強くなり、武蔵野美術大学への進学を決めます。

大学の先輩には作家の村上龍がおり、種田さんの入学した年に「限りなく透明に近いブルー」を映画化しています。
種田さんは当時、村上龍の登場に刺激を受けたそうです。
数年後、村上龍が再び自作「だいじょうぶマイ・フレンド」を映画化した際、種田さんは現場で美術助手のアルバイトをしており、村上龍に同じ大学のよしみで声をかけられたのだとか。

当時は二人とも駆け出しだったんでしょうけど、今になってみればすごい邂逅ですね。

主な作品

  • 「思い出のマーニー」米林宏昌監督
  • 「清須会議」三谷幸喜監督
  • 「KILL BILL」クェンティン・タランティーノ監督
  • 「フラガール」李相日監督
  • 「冷静と情熱のあいだ」中江功監督
  • 「不夜城」リ-・チ-・ガイ監督
  • 「スワロウテイル」岩井俊二監督
  • 2010年「悪人」で第34回日本アカデミー賞・優秀美術賞を受賞
  • 2011年秋の叙勲で紫綬褒章を受章

なぜ美術監督になったの?

武蔵野美術大学在学中、映画研究会で8ミリ映画の制作に没頭。
1970年代後半から1980年代当時はジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ」、スピルバーグの「未知との遭遇」などが大ヒットしたSFブームでした。

そんな1980年、大学で寺山修司監督の映画「上海異人娼館チャイナ・ドール」で絵画助手をするアルバイトの募集がかかり、これに応募。

寺山作品に傾倒していた種田さんとっては、まさにそれからの人生を決定付けるほどのインパクトのある体験だったそうです。
この体験がきっかけといっていいでしょうね。

卒業後に映画界に入ったものの、日本映画界は低迷期を迎えていました。
種田さんが一躍注目を集めるきっかけになったのが、1996年に美術監督を務めた岩井俊二監督作品「スワロウテイル」。
そこから1998年の「不夜城」、2002年の「KILL BILL」など国内作品に留まらず活躍の場が広がっていきます。

在学中に村上龍と出会ったり、寺山修司の映画に参加したりとそれこそ神によって仕組まれたような出会いや経験があったんですね。
これはなるべくして美術監督になったのかもしれませんね。

ぜひこれからも観る者を圧倒するような、すばらしい作品を手がけていって欲しいと思います。

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