新幹線の父・島秀雄の経歴、父も息子も鉄道技術者?

新幹線の父”とも呼ばれる島秀雄さん。

戦前は蒸気機関車「D51」の設計にも
関わっていたのだそうです。

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じつはお父さんの安次郎さんも
鉄道技術者。

そして、息子のさんも同じく
鉄道技術者で新幹線の初代「0系」の
設計にも携わった方なのだそうです。

親子3代、しかも同じ鉄道技術者って
すごいですね。

島秀雄さんは1901年大阪生まれ。

東京帝国大学卒業後に鉄道省入省。
以来、車両課でSLの設計に携わります。

戦後、国鉄車両局長を務めますが、
1951年、「桜木町事故」が発生。

この桜木町事故では車両火災によって
100人以上が焼死するという
大惨事になりました。

島さんは車両の安全対策を行った後、
国鉄を退職

のちに語ったところでは、
「責任のなすり合い」に嫌気がさした
のだそうです。

そんな折、新幹線建設計画が持ち上がり、
当時の国鉄総裁の
十河信二(そごう しんじ)さんに
声を掛けられ、副総裁と同格の技師長として
国鉄に復帰します。

こうして十河さんと島さんによって
新幹線計画が進められていきます。

ちなみにこのときの新幹線の
車両設計担当者の中には息子の隆さんも
いました。

いよいよ開通を翌年に控えて、
予算不足の問題で十河さんが引責辞任。

島さんも続いて辞めています。

どうも十河さんは追い落とされた
感じですね。

やっぱりいろいろな利権や思惑が絡む世界
ですから、それに足を取られたんでしょう。

島さんはあくまで自分を誘ってくれた
十河さんに殉じたのだそうです。

昔かたぎの義理人情の世界ですね。

1964年10月1日、東京駅で東海道新幹線の
出発式が行われました。

しかし、そこには十河さんも島さんも
呼ばれていません。

国鉄のこの対応はさすがに世間の批判の的に
なりました。

こういうところで国鉄の本音の部分が
垣間見えますね。

その後、宇宙開発事業団(現・JAXA)の
初代理事長に就任。

鉄道からロケットってまたぜんぜん違う
ところにいきましたねぇ。

しかし、日本の天気を担っている
気象衛星「ひまわり」の名前は、
島さんが園芸好きだったことに由来している
のだとか。

あの「ひまわり」の名前にそんな裏話が
あったんですね。

1998年、96歳で亡くなられています。

2008年に鉄道愛好者団体「鉄道友の会」が
島秀雄記念優秀著作賞」を創設。

鉄道に関する優秀な著作を
表彰する賞です。

鉄道友の会の初代会長だった
ということでその名を冠した賞が創設された
そうですが、その功績を振り返る
きっかけにもなっていいことですね。

島さんは、日本の鉄道史を紐解けば
間違いなくその名前が出てくるであろう
功労者

まもなくリニア中央新幹線の工事も
着工されると思いますが、
そんな今だからこそ、その功績を称えるべき
ではないでしょうか。

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